2020年4月「キャベツの水滴は命のかがやき」


朝の散歩から帰った父が「キャベツの葉の上に散らばった水滴が朝日に輝いてそれはそれは美しいもんだ」とうれしそうに言ったことがなぜか忘れられないでいました。そんなものなのかな、自分が育てた野菜の誇らしさもあるのかなと私はまだ父の感動を実感できないでいたのです。数年後膵臓がんで父を見送りました。当時外科医だった私は数人の友人外科医に父の手術を依頼したのですが「あなたがすべきだと」みんなに言われ仕方なく膵頭十二指腸切除術を行いました。80歳という高齢者に対する大手術は私にとって始めての経験でしたが術後合併症もなく退院。しかし2年後に再発しました。

 

10数年が経って訪問診療に従事することになった私は夜間に自宅や施設で亡くなった患者さんの死亡確認をするために早朝車を走らせることが多くなりました。診察を終え患者さんやご家族と別れ、診断書を書くために診療所に帰る頃、朝日が山々の緑のシルエットを横から浮かび上がらせ、田んぼの畝には延々と連なるキャベツと光る水滴が輝いています。

 

「ああ、これが父の言っていた水滴だ。」水滴は今誕生したばかりの生命の輝きに見えます。命の終わりと自然界の生命の誕生に立ち会った時に光の量が倍増して景色が眩しく感じる一瞬です。水滴は確かにただの水分ではなく植物の葉の上にちりばめられた命の結晶です。もしかしたら父は自分の死を見つめていたのかもしれないと最近思います。その後、朝方の往診の折に、何回か同じ景色と感動の瞬間を経験するようになりました。最近は水滴の中に父ではなく今旅立ったばかりの患者さんの顔が浮かぶようになってきました。

 

 

                       生協みき診療所 田中 眞治